シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州小史

平成30年10月17日

ハンブルクは既に6世紀に港湾都市として存在していたが、9世紀の初め、カール大帝の前哨基地として「ハンマブルク(Hammaburg)(「小高い森の城」といった意味。ハンブルクの名の由来)」城塞が築かれた。1189年にはバルバロッサ神聖ローマ皇帝よりエルベ川の関税徴収権を与えられた。中世時代、ハンザ同盟の中で、特にビールなどの輸出品貿易のための最重要の港湾であったが、新大陸の発見及びアジア航路の発見後の1550年以降、ヨーロッパで最も重要な交易港の一つとなり、神聖ローマ皇帝から自由都市としての特権を認められ、概ね自治権を維持してきた。1842年には旧市街の半分が焼失した大火事に見舞われた。1937年にはアルトナ、ハールブルク、ヴァンズベックなどの周辺地域を統合して拡大し、今日の規模に至る。第二次世界大戦でおよそ街の50%が破壊され(1943年に連合国軍の大空襲)、約4万5千人が犠牲となった。1990年代より、港湾地域の倉庫街が再開発され、職場と住居が近接するハーフェン・シティー(HafenCity)としてハンブルクの新しい区域の整備が進められている。



ハンブルク市庁舎
【ハンブルク市庁舎】
ハンブルク倉庫街
【ハンブルク倉庫街】

ハンブルク港にあるリックマ・リックマス【ハンブルク港にあるリックマ・リックマス】